自分への往復書簡

5人の未亡人母ちゃんまぁるです。日々の暮らしの中で幸せってなんやろう?至福を味わうってなに?を探求してます。ますみんの『今』の主観でできているブログです

🎄生誕礼拝と良い子ってなあに?🎄

やっと深ーく振り返れて書いた❣️

あなたにとって良い子って?なあに?

 

子ども関連ゆ深掘りするのは私の趣味で、、、

この頃にちょうどタイムリーだった

私と娘のこと

※このブログは私が好き好んで見ている

主観の世界です。

 

娘の幼稚園はキリスト系です。

クリスマスシーズンは

礼拝ごとにアドベントが行われ

生誕礼拝と同じ週末の親子礼拝で終了する。

 

上手い下手の発表ではなくてお祈りというスタンスで。写真もビデオも使用禁止で

保護者にもお手紙や当日に口頭て

繰り返しアナウンスをする。

エスキリストさまの誕生を

再現することでお祝いする。

それが生誕礼拝

 

今年は娘が年長さんということが

きっかけになりより

さらに

深く、深ーくイエス様を知った。

宗教という枠を超えて

 

娘が生誕礼拝で頂いた役目は

ひつじ飼い

彼女の1番の希望とは違っていた。

 

配役が決まった日

娘は教えてくれませんでした。

 

じつは私は配役決定の当日に

娘が嬉しそうに先生に報告したと先に聞いてしまい。ありゃ、どうしたもんかいなぁーと

一瞬にして励ます方向で反射的に思案してました。

 

こうゆう時のよかれの思いが出発点の思案は

余分なよく目が出て裏目に出るもんで。

この気持ちのまま娘に声をかけてしまい

当日に配役を私に言わない結果に、、

 

やっぱりそっと待つしかないなぁと

毎度毎度この流れに辿り着き

 

翌日にぽつりと教えてくれました。

 

聞いてから

下手な励ましやら、なんやらのおべんちゃらを乗せないように関係ない話をしても

そうゆう思いは隠しても隠れなくて(苦笑)

娘から怒りやスルーされ。

そのまま放った言葉の方が伝わるを

またまた味わう事になりました。

 

後日年長さん向けの保護者会で

先生より

配役は立候補で

人気の配役はくじで決まったとききました。

先生からは〇〇役はあなたねということはなく。

 

聖書の世界でもくじ引きは

神さまのお与えとして

よく採用されるそうで

 

決まった役は

その子の為にある役になると。

いう主旨の説明でした。

 

それは丁寧で

子どもを真ん中にした愛のある配慮の説明で

主役はあくまでも子どもであり

エスさまを迎える礼拝であると。

 

親のエゴが入るところではなくて

親の私ができることは

そのままを受け止め、受け入れること。

それは娘はどんな表情の娘も愛おしく

娘の乗りきる、やり切るチカラを信頼する

あとは日々を楽しむだけやと。

 

気にかけていないようにしようと

ずいぶん時を使うなぁ母ちゃんはw

 

翌日私に配役を発表してからは

配役に入っていき、、

 

わたしはちいさいひつじかい

〜略〜

てんしのうたをききましたー

ってパートの部分を歌ったり

台詞を言ったり

聖歌を歌ったり

私の歌のパートを教えてくれたり

プレゼントの話をしてくれたり

他の台詞を言ったり

キャロリングの曲を歌ったり

彼女の日々の一部を少し聴くだけで

膨大なワクワクするエネルギーで

楽しみだなぁと

 

ひつじ飼いは

 

ひつじを見守るだけの

誰でもできる簡単すぎるから

人として扱われていない人がやる仕事だったそうです。

 

その割に

ひつじの命の安全があって当たり前なんだよね。

朝のひつじの数と夜のひつじの数があっている。

 

そのひつじ飼の元に1番に天使がやって来て

 

馬小屋に神の子としてイエスさまがやってくる。

無防備な赤ちゃんの姿で

だからあなたたちも

会いに行けば、必ず神さまに会えるからと

 

その言葉を聞いた

ひつじ飼いたちはこんな身分の

私たちにお知らせに来てくださるなんてと

素直に有難いと感激し

歓びお祝いに向かい1番に着くのです。

 

求めたら愛される。

欲しいと言わないと得られない。

助けてと言えば手を、知恵を授けることができる。

 

神さまに祈る事は自分の気持ちを整理すること行動に移すのは自分自身

 

ここまで私に落とし込ませた

娘のチカラはすげ〜って思った。

娘は自分の日々に集中してるだけやのに

 

この生誕礼拝3年目ですが

深ーく内容と気持ちが繋がるのは初です。

しかも、ひつじ飼に関してのみ笑

他の配役にも意味があるねん、きっと

信仰している方々には申し訳ですが

やっぱり私は俗人でにわかやなぁって。

 

毎日毎日毎日

娘は

大きな声で歌いまくり、台詞言いまくり

いつもどおりやなぁと

当日のできに関しては、全く心配なくすごした

まぁ得意やし。大丈夫っしょくらい。

そもそも結果にこだわらんし

と母ちゃんよくも悪くもはたかをくくってました。

 

結果はきちんとぜーんぶ綺麗に美しく

出るもんで

 

礼拝当日

 

生誕礼拝

娘はそれはそれは見事に楽しくやり切って

他の子もやり切って

初々しいのらやら、愛くるしいのやら

可愛いし、一所懸命で

その姿を見て胸やら目頭が熱くなるもんで

保護者も声を合わせる歌も楽しくて

あー幸せやなぁと感慨深く

クラスの集まりにむかう

 

クラスに入ると

親子で一緒に

歌い、触れ合いプレゼント交換したりする。

入るなり娘の様子がおかしい

やたらめったら膝に座ってくる。

年長さんやのに、、甘えてがよぎるが

すぐに打ち消し膝を許す

プレゼントもらい、渡した辺りでさらに激しく

私からのプレゼントを投げる。

ありゃ?気に入らんかったかーーい!

まっ好みの激しい、娘あるあるやなぁと。

にしても、機嫌わりぃーな。

と淡々とやりすごす。

娘どんどん機嫌悪くなり

そう言えばお腹すいたかぁ?

朝あんま食べてないしなぁ。

しゃーないな。

帰る頃になっても機嫌悪いから

まだお腹が空いてる余波だと思いこんでて

母ちゃんは打ち上げ好きなんで

なんか食べに行こう!って誘うと

ラーメンが良いと。

どこにしよー?

帰って来た答えはコンビニのラーメンとアイス。

母ちゃんは少し拍子抜けやけど

娘が満足ならそれが良い。

 

コンビニでお互いに食べたいものを

買って帰り家で好きなペースで食べた。

 

ほっとした

 

2人でのんびりし、お昼寝

起きたらいつも通りな娘

やっぱ生理的にお腹空いて、眠かったんだ。

 

まだここでも

私は娘のある成長部分に気がついてなくて

 

この方のブログ記事https://ameblo.jp/guriguriagree/entry-12560530164.html

エントリー日が

生誕礼拝翌日でタイミングに笑える

 

生誕礼拝前後

久しぶりに子なしで

いくつかのプロのLiveを観て

私自身が暮らしで自身の

感情の動きにぐっーと集中して

やっと思い出した。

 

娘のあの暴れようは

自覚の集中力が一気に緩んだからだ。

 

4週間近く

表現をする事、再現すること

そして見守られる事を

意識的にも無意識にも感じ続けた。

彼女は好きなんだよ表現するのは

だからこそ

見落としてた彼女ならではの緊張感

 

何回か張り切って得意気に

私に言った言葉がある

ねんちょうさんはねぇ

「だけど」が大切なんだよー

やったことがない「だから」やらないじゃなくて

やったことがない「だけど」が大切

それは娘にとって

後押しでもあり壁でもあった。

彼女にすうぅーと入ってた言葉

 

それを抱えてやり切った

生誕礼拝

そりぁー計り知れない集中力だったろうよ。

ひと暴れもふた暴れもしたくなるだろうよ。

なんならそれが彼女にとって打ち上げだわよ。

彼女の中で今日乗り切る部分は

終わったんだもの、良い子でなくてよいわ。

 

それに気がついて

5日後の

キャロリングの駅前奉仕終了後は

写真拒否の彼女が愛おしくて

一枚撮れてたからさっさと帰ったわよ。

 

クリスマスプレゼントの

リクエストは

電子バイオリンのおもちゃが叶い

次の狙いはクラリネットらしい

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緊張と緩和

動と静

成長と停滞

感謝と攻撃

大好きと大嫌い

やるとやらない

などなど

ぜーんぶまるっと愛おしい

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