自分への往復書簡

5人の未亡人母ちゃんまぁるです。日々の暮らしの中で幸せってなんやろう?至福を味わうってなに?を探求してます。ますみんの『今』の主観でできているブログです

我が子が学校に行かないってなる時

我が子たち
長男以外は学校を休みがちな時期がある

3男は学校を休むことが多い
4年生の時はめたくそ休み放題な感じで休んでいた

5年生になり新学期始まってもあまり関係ないみたいで
お世話係(登校にお迎えに行き1年生に連れ添う役)だから頑張るとかない

朝ねむりこけて微動だにしない
お腹が痛い、気持ち悪いとか訴える
普段なら「はいよー」って母ちゃんが休みへの段取りに至るまで早いのだけど

三男都合をはるかに超えて

母ちゃんの都合がたくさんあるから
ものすごーーーい
イライラする

(今回はお世話係だから1年生も絡んで厄介なんだよねー)
(朝眠いんだよねー)
(娘<骨折していた>の送迎の段取りもあるんだよねー)
(欠席理由を考えて連絡帳書くのめんどいんだよね)
(我が子のことなのに面倒がるのってどうよw)
(などなど、私の思いがダクダクにあふれかえる)

そんな私と我が子に付き合いながら過ごしていても

子どもが「休む」って決めてしまっているので
短時間の攻防では「休む」ひっくり変えることはほぼ無い

落ち着いた時に
なんで学校に行きたくないのかなぁーって
なんで学校へ行かせたいのかなぁーって
母ちゃんの中身と対話をする

まぁ色々出てくるのだけど

なんで学校に行きたくないのかなぁー

・45分間座っていられない
・授業がつまらない
・友達関係に何かモヤモヤしている
・先生との関係にモヤモヤしている
・学校のルールがいまいち納得できない

なんで学校に行かせたいのかなぁー
・つまらない環境でも取り組み次第で楽しくなる
・授業たまに面白いことを知る
・暇との付き合いを学ぶ
・人付き合いを肌で覚える
・知る喜びを得る
・先生も付き合ってみると人間味があって親切
それら家庭以外得れることだからなぁ
そんなところだろうか。。

納得いかないことでも過ごすうちになんとかなるし
楽しい時もある

たまに休めばいい
母ちゃんはそう思っていた

ところが2月に娘が骨折し
娘が安全に登校するのに付き添い
教室まで数回連れて行った
その時に感じたこと

先生も
ものすごく熱心に気の毒なくらい真面目に対応してくれる
話聞いて、話をすれば成り立つ
それには『お互いを知り合うこと』が必要
観てる世界が違うし
お互いの価値観も違うし
それを知ったうえで話すと
分かり合える打率が上がった

一番の収穫は
けれどそれが
各、子どもにとって居心地が良いとは限らない

当たり前のことなんだけど
それがなかなかわかんないんだよね
なにせ『渦中』だし
そればっかりについて
観察と考察と感情を見続けているわけではないから

まっ責めることでもないねんけど

なんで
子どもにとって居心地が良いとは限らない
それに至ったかというと

私はズボラだから
送迎をするといっても

早めに行く
とか
時間に合わせる
とかできなくて

頑張ってもかなり高いハードルで
もう授業が始まってから入るってことがあり

そうなると娘が教室に入れなくなるだよね
その時に何度も聞いたこと
「みんなが見るから(入れない)」

ほんまっ。
ごめんって内心思いながら
時には手が空いてる先生に丸投げして

娘が馴染んで教室に入るまでただ側に居て待つねんけど
(この馴染む工程は母ちゃんは大切だと思っていて)

馴染み待ちの間に
垣間見えたことを眺めている

そしたら誰も悪くなくて
不快に感じることが割とあり

校内放送やら隣やら上やら下やら
教室の声とかが入り混じり
それもまーまでかい音量だから
そこから自分にとって必要な情報を得るのは非常に疲れる
(そもそもがどれが必要な情報かわからない)


自分の声が目の前の子達に届くように声を張るから
ますますボリュームが上がりうるさくなる
(聞いて欲しかったらボリュームが下げていく方法もあるんだけどね)


先生が構ってくるかと思いきやいきなり放置
先生が一人やから物理的に困難だよね

椅子が硬い
形だけやろうとする

先生が大切だと思ってやっているのか違うのかわかっちゃう
などなど

価値観を押し付けてくる(ように感じる)

聞いてもらえない(ように感じる)

そんな感じで「学校に行きたくない」要素と
なりそうなことがいっぱいある
まぁそりゃそうだろうなぁーって感じで

それを『知ったら』さぁー
先生に優しくなれるんだよね。

だから『知る』と我が子にもかける言葉が変わってくるんだよなぁ

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なぜ?
母ちゃんは子どもに学校に行って欲しいんだろう?
それを何万回も聞いていくと辿りついた中に

「違いを知る」「知らないを知る」
世の中には違いがありそれがとっても面白く、ワクワクするものがある
それはつまらんって思うような日常にあって
家庭だけではもう狭いし
歩いていける学校で
得てほしい、私の手をなるべくかけずに
あとは「暇」を限られた縛りでどうやり過ごすかを
体得できたらいつでも楽しめる人でいれるなぁって思う

という
私がなんとなく理由分からずに
学校に通い得た事が出てきたのだ
エゴでしかなかった。

そこがスッキリしてきたら
むちゃんこ楽な気持ちで子どもが観れるようになったし

「学校にいかない時」に出る
母ちゃん側の物理的な不都合と付き合う事に
頭を切り替える。