自分への往復書簡

5人の未亡人母ちゃんまぁるです。日々の暮らしの中で幸せってなんやろう?至福を味わうってなに?を探求してます。ますみんの『今』の主観でできているブログです

私を大切にする事と暴力の力技を使うこと 1

わりと最近まで

子どもに対して怒りが湧いたときに

叩く、殴る、蹴るとか力技に出る

選択肢があった

 

やったあかん事をやった時

私のゆう事を聞かんかった時

 

私が子どもの時は

当たり前のように

叱られる時に

母親や先生から

叩く、追い出されるって力技に出られる

選択肢があったし

私自身も力技で喧嘩もめっちゃようけしたし

 

母親からコテンパンに叱られていたので

父親の出番はなく

あんま叩かれた記憶は今はなし

無関心に見えた

 

だから有りやと思ってた

だって

いろーんな語りかけをしても

言っても言っても

ゆう事聞かず、通じず同じことをするんだから

 

ありとあらゆる方法で

ビビらせてもww

全然へこたれず、話し聞かないし

 

問題解決には

暴力はいたしかたない 

 

悪い事したんやから

このままほっといたら

どんどん調子に乗って

もっともっと取り返しのつかんことになるから

私の力技が及ぶうちになんとかしとこうって

 

だって

愛する我が子が

 

他人から

悪い子扱いされたらかなしい

孤立したら悲しい

迷惑かけれない

私の子育てのやり方が

間違いって思われたくない

 

小さなうちならなんとか

軽い力技でなんとかなる

芽が小さいうちに

 

しめとこう←

 

子育てに暴力はいたしかたない

 

この感覚を採用してる時

感情に任せて

 

子どもに

大声で怒鳴り散らす

イライラをぶつける

闘って、闘った

 

今も全く無いって言えば嘘になる

 

だって力技は簡単やもん

身体が痛いからやめるやん

だから有りそう思ってた

 

仕方ないって言葉は便利だ

続く