自分への往復書簡

5人の未亡人母ちゃんまぁるです。日々の暮らしの中で幸せってなんやろう?至福を味わうってなに?を探求してます。ますみんの『今』の主観でできているブログです

20年前の今頃

20年前の今頃

私は愛知に住んでいて

旦那くんは時々大阪の現場に行った

そのころは長男が生まれた年で

私は
子連れ移動のしんどさ>懐かしい大阪
そんな感じだった

その私が
たまたま大阪に向かい
たまたま実家があった所に向かった
たまたま弟が住んでた所にいき
たまたま弟と言葉を交わした

「ちゃんと食べてるか?」
我が家のご挨拶の文言と共に
もっともらしい感じの事を言って別れた

それが
動いている弟をみる最後になった。

当時の私ら家族はそんな感じだ
必要事項伝える。
以上
肝心な事であればあるほどそうだ。

何かを察知すればするほど
身内には声を発せない
そんな私やった。

影に隠れて隠れた先の人を
操り言ってもらうそんな風

明日言おう
声をかけよう
そうこうしているうちに
9月の半ばには
この世で声をかけれなくなった

それから20年後
夏から秋はお別れの日を思い出すことで
一杯になってもうた

今2人分の後始末をしながら思い出す。

今年まで片付けられなかった理由と
今年になって片付けれる理由が
私の内側からひょっこり出てきた

身辺整理とお別れ
そのあと軽トラを借りて
後始末を一手にしてくれた旦那

そこの記憶が繋がったから
ほどける事ができた
これから私はさらに軽くなる

恩返しと恩送り

今年になって弟と私の写真を飾れるようになった
私が妊娠して大阪から愛知に引っ越すからと
撮ったやつ。
2ショットは私の成人式以来とかで
実に7年ぶりくらいやった。

宿った命、存在する命、去った命が
揃ったショットになってもうた

撮ったところは
家族皆で愛用してたパチンコ屋の前

今は全員打たなくなった。

あまりにもお別れが衝撃的すぎて
消化するのに随分時間が必要やった
今も未消化なところもある
だからこれからは
気が済むまでアウトプットする

彼は命を絶った

部屋もパソコンもをくまなく探したが
旅立つ理由は口を閉ざしたまーんまや

結婚式で親戚皆で撮った写真に
ごめんなさいだけがあった

今書いていて
弱い字、ごく小さい字が大嫌いになった理由が見つかった
これでまた一つ線引きができた
それとこれとは違うから大丈夫

こうやって私自身で
線引きができるようになればなるほど
生きやすくなる

送る人が多くなり
世の中を知るようになって

私が口を閉ざしてしまったら
彼の命は
だんだんなかった事になるねんなぁとも思うようになった
それもなんかちゃうなぁって
両親と私の間でもそんなに弟の話題は出ないのも

だんだん寂しいなぁってなった

悲しい記憶があるからって
愉快な記憶や楽しい記憶を封印する必要ないし
オモロイ可愛い弟やったし
憎たらしいほど母親に愛されてたし
彼は天才児やったし
自慢できる事もいっぱいあったし

私がそらで言える戒名は弟だけ(←え?)

あと数年で戒名の方が長くなるなぁ

彼があと1世代後に生まれてたら
つまり今25歳やったら、私はあの頃と違う方法で柔らかく
彼にとって生きやすい選択肢を提示できる。
(時代を待つのが面倒やから、弟は先に逝ったのかもしれない)

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