自分への往復書簡

5人の未亡人母ちゃんまぁるです。日々の暮らしの中で幸せってなんやろう?至福を味わうってなに?を探求してます。ますみんの『今』の主観でできているブログです

今の気持ちは今しか伝えれない

これ!見た瞬間泣いた

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リンクの画像より。可愛いスヌーピーをくっつけるとか反則すぎやし
記事元

旦那氏を思い出した

ー私にとって旦那氏への思いー

一番怖いのは    忘れ去ること。

一番悲しいのは 別れてしまったこと。

一番寂しいのは もう今生で会えないこと。

一番悔しいのは もう今生で伝えれないこと。

一番楽しかったのは 共に過ごすこと。

一番幸せなのは 出会えたこと。


残念ながらというか
時が経つと悲しみも薄れてくるもので
気合い入れて戻ろうと思わないと当時の感覚はもう蘇らない

つまり私のやりたくかった事
うえの言葉たちは時と共にもう薄れているのか?
感情の奥の奥の奥に入り混んだのか?

知らんけど。

いつでも魂と交流できるけど、それはまた別の話

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声に出してかけたさいごのことばは

一番言いたかった
大好き愛してるよりも
仕事は大丈夫だよっ休みなよって

あすもつづくとおもっていた
わたしの生活のしんぱいを優先したこと
『安心させること』だけを注目して

旅立ってでたすぐの言葉は
え?ウソやろ?(ほんまに死ぬんや)ってひょうしぬけて

抜け殻の身体が灰になるまでなんどか
大好き、愛してるって言っても
なんか
罪滅ぼしみたいな感覚になって気持ち悪かった
これも本当

ひょうしぬけてすぐに
しっかりする事、みんなが安心するには?やった。

そのあとはズーーーーーーーーーっと長い長い間
私がすきなように、すきなことだけををするってことをしてた。

すきなように、すきなことだけをやる
動機や基準値の一つに
まわりを『安心させること』
私がすきな事ををやらないと
病気になったり
死ぬから
心配かけないようにしたいからやる範囲

なんじゃそれ?ってやつを
割と最近まで
もっとった

わたしが安心するのと
ひとを安心させるのは大きな違いだよな

私が安心すれば、皆も安心する
だから、私の安心を得るのに動く

今も一番怖いのは    忘れ去ること。
彼の生きた証
仕事の方はたくさんの方々が知っている(って思いたい。)

私が知っているのはほんの一部
 
私が知ってる
旦那のええところを書き出したらめっちゃいっぱい出てきた
ええ男やったー。

愛おしい人でパートナーで連れ
←直感でいいってなったけど、20年くらい中10年くらい私の感覚を疑ってたww
 
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旦那さんの病気や死を経験することがきっかけで
気づきを得られたってのがなんとも皮肉なことやねんけど

散々色々やったので、もうさすがに
『自分の感覚を信頼する。』

私がこの身体を使い相手に私の真意や本音は伝えれる時は有限。
思ったら言う、会いたくなったら会う。

私の想いや気持ちを伝えること

メッセージ送るよりも
喋った方が早いことも
あった方が早いことも知っている

けども怖くて
なんどもゆっくり見返せる
メッセージでしか伝えることできなかった

気を緩めたらすぐに失礼なことを口走るし
すぐに爆笑してまうから
だからヘタしないようにお口チャックやったけども

声に出して想いを伝えることができると嬉しいな。