自分への往復書簡

5人の未亡人母ちゃんまぁるです。日々の暮らしの中で幸せってなんやろう?至福を味わうってなに?を探求してます。ますみんの『今』の主観でできているブログです

ハンディーのある方への思い

 はるちゃん宮殿で繋がったご縁をきっかけに
さぐった思い。

これは私の昔から持っている
軽いスローガン的な思いではないです。。
はじめて胸のうちを語ります。
 
私ね幼少の時からずっーーーーーと
いろんなハンディのある方々の存在が気になって気になって仕方ありませんでした。
でもね、眺めるしかしてませんでした。
そう、眺める。景色にする事です。

ほんとはガン見してどういう方なんだろ?って観察したいし、話を聴きたい。
それはからかうとか面白半分では毛頭なく
他の人間と同様です。

でもな、知り合いでも無い人にいきなりそれしたら、失礼やん。
って幾度となく怒られて。
それ以来、気をつけて関わらないようにしてた。
だから景色
 
「どんな人とも仲良くしよう」「みんななかよく」
それは自分にはできないし、やりたくない

だから景色

もし、自分が何かの拍子に体のどこかにハンディーを持つとなったら
嫌だ!だんなも同様の事言ってた。
それは、自身が生きにくいからとか痛いから、辛いからいやではない。
生きてるから死なないように、1秒でも楽しむように
生きてる範囲でやりたい事をやります。
そうすると心地良くなる、勝って気ままに自由をしたい。
けど
それをしたら
迷惑になるから。
人の世話になるのが嫌やから。
だからハンディーを持つのんいや。

だから景色
 
ハンディーのある方に対して
具体的に手を差し伸べる方々を見ては
ふーんとか
よくやるなーってみる時もあれば

わたしはやりたい事あるから自分の時間犠牲にしたくない。

あれ?掘ってみたら
なんだ、自分がなんでもやもやしてたのかがわかった。
パートナーができたり、亡くなったり
こどもが増えて

むすびつきができたり
ほどけたり
かたくなったり
ゆるくなったり
お世話になる事がものすごく増えました。
逆にお世話する事も

お世話する時の私の気持ちは
お世話したい時にしたい人にするから問題ない。
です

お世話したい人は決まってます。
私がファンの人

なんだ、もの捉えかたが未熟でした。
一方の世界では個々を見て
ハンディーのある方が個々の方々ではなく。
ハンディーのある方を全部まとめてひとくくりで見たからだ。
個々に見るといいんだ。

つまり、人として見ても、おつきあいもしてない。
ものすごく失礼な事をし続けてました。。

関わって
好きになっても嫌いになってもいい。

ハンディーを特別視してた。
それはスターを見る感覚。

ずーーーっと気になってたハンディを持つ方々へ
ごめんなさい

傷付けるのが怖い。
ではなく、近づいた為に
距離をおかれて傷つくのが怖いでした。

あっでもさーこれって恋する乙女の感じと似てると思った。
恋に恋する乙女から
恋する(おばちゃん)になれます。

なので、これからは色々思いを出して伝えて
ガン見&がん聞きをやってみようと思います。

恋人できるかな?