自分への往復書簡

5人の未亡人母ちゃんまぁるです。日々の暮らしの中で幸せってなんやろう?至福を味わうってなに?を探求してます。ますみんの『今』の主観でできているブログです

阪神淡路大震災 から25年

1995年1月17 日

意味わからん事がほんとうに

起こるってのを体感した日

f:id:motomotonomonn:20200118075842j:image

 

一瞬で世界が変わる

個人的にそうゆう事は何回もあるけれど

一気に広い範囲で、沢山の人におこる

 

意味わからん事が起こっても起こらなくても

 

たいした事ができない

ふだんどおりのことしかできない

 

世がよろこびに溢れても

世が悲しみに暮れても

 

私は私の事しかできない。

それを

痛感した出来事

 

25年前

下から突き上げる振動で目覚め

しばらく続く揺れと大きな音に

家族が一気に一箇所に集まった。

 

当時

六畳と四畳半の続き間、台所、納戸、脱衣所の間取りに20歳の私、18歳の弟、両親が住んでて

瞬時に集まるってこの一回きりやった。

 

私は当時

ちょうどこっそり裸ん坊寝るブームで

コレバレたらやべえって

絶対死ねないって必死になったの覚えてる。

どうにかしてめっちゃ速攻で服着たと思う

 

揺れに揺れて

ボロ長屋の家がつぶれなかったのが不思議で

実際動いたのは家だけ

物はおかんのメガネが一個落ちただけやった。

f:id:motomotonomonn:20200118080148j:image

我が家は大阪市内の南端だから

震源地から離れてたけどね。

 

よくわからんで

テレビつけたら火事やらなんやら

えらい事になってて

何が起こったのか

よくわかんなくて

うちが無事で、家族も無事

時間が経つにつれて

テレビで見るニュースが凄い事になってた

震源地を知り、大きなエネルギーで。

 

やっぱ、よくわかんない

その後も時折揺れたから、びびった。

時間ばかり経ち

いつ、何が起こるか、揺れるかも

先がわからない。

 

繰り返し同じ映像に気分がもっていかれ

どんどん滅入るとキリがないと切った。

ざわついた気持ちで普段の暮らしをした。

 

この日平日で

 

宴会バイトのシフト入ってて

電車が動いてて

南大阪線は絶対に停まらんなぁって

携帯かポケベルだったかな?

そんな感じで様子わかんないから

一応行っておこーって感じで行った。

明るい時間帯やった。

行ったら、やっぱ宴会はなくて。

その後どうしたかかな?

なんか違う落ち着かない感覚やけども

たいした事できないから帰る

そんな感じやった

 

学校の場所は梅田やったから

休んだか、元々なかったと思う。

 

なにしたらええねやろ?

わからないから気持ちわるさと

怖さを持ちつつ日常をこなす。

そんな感じやった。

 

「成人式後でよかった。」

 

私が放った言葉で覚えてるのはこれ

成人式2日後だったから。

悲しみに暮れた空気では

大手を振って喜べないって思ったんだよね。

 

被災地に行かなかった。

なんで行かなかったやろう?

できる事はあったのに

作り出せる時間はあったのにって

 

速攻駆け付けたという

後に出会った旦那さんの話を聞いて

 

そんな気持ちを抱きながらも

行動しなかった自分を

残念に思ったこともあった

 

当事者でない私が

わけわからんまんま行って

私のエゴでら

引っ掻き回す感覚がしたんやった。

あぁそうだったんだ。って出てきた。

 

普段どおり

学校行って、バイトして、遊んで

暮らしてたな。

毎日毎日暮らしに笑い、快を求めて

 

いつ、何が起こるかわからないこそ。

そうだったんだと思う。

 

あとは色々な事を見て

自分の暮らしは自分で回すしかないって

快適は自分で創り出すってなった

 

6年後

子どもが生まれた時に

年齢に応じた

ひとりで立つ事、その時にできる最大限を

与えようと思った。

いつ、誰の終わりが来るかわかんないから。

 

育てていくうちに

子どもは元々持っていて育つから、芽を摘まない感覚になった。

 

なんだ、みんな持っているやんって

 

強くたくましく。

しなやかに、愛し愛されて生きる。

爆笑を私を諦めない今日を最大限に

 

先はわからんのは生まれた瞬間から死ぬまでずっと