自分への往復書簡

ワクワクの元がどんだけワクワクがひろがるか?なんだいいかも?のいいかもーに自分自身でのったらこうなりましたのねんのブログ

お産せっしょん始めます。

母のお産せっしょん

随分まえ
母と電話で話してた時の事
長男のお産の時の事からの流れで
私をお産した時の話に。

母のお産の時、昭和40年代は
高度成長期からの流れで
スポック博士の育児書が大流行り
ミルク&抱かない育児そして紙おむつが出始めた頃。
ベビーブームで産めよ大きく育てよ、管理育児が流行ったた時代。

私が生まれる。そのときの話。
産院の指導の元
予定日から計算し、私の誕生日は5月18日の昼と決まっていた。
陣痛の波をやり過ごすとき
看護師さんは関係のない日常の雑談。
痛みを1人で乗り切ったそうだ。
産んだ前だったかあとだったか、
母が「水を一杯欲しい」と言った時
医者さんに「そんな情けないっあまえなさんな」てきな事を言われたそうな。
こんときに
常々ばあちゃんといさかいがあった時なにかあると
「そんな恨み節を言ってもお産のときはかあちゃんが必要になるからな」と捨て台詞を言われててそれを思い出し
こころの底から『ほんとにかあちちゃんが居てくれたら』と思ったそう

ほんでやたらと私の長男お産のときに母がつけなくてごめんなーとやたら言われたのね。
里帰り出産だったが、陣痛が強くならず父&母は一時帰宅。
旦那さんはツアー中
いざお産のときまさかの産院連絡忘れ。
この時期離島の産院では滅多にない満床
2000年→2001年の移り変わりミレニアムベビーの余波。
産院はめっさ忙しかったみたい。。

次男の時は産後お手伝いにきてくれて、自宅の屋根が落ち
3男の時は自身の怪我
娘の時に3週間も居てくれて裏の桜も眺め、母もやれた感じがする。
その事があってのこの話
話できて母すっきりしたんかもな。

私、お産セッション始めます。
お産の話、聞きまっせ。
気になる方はコメント欄&メッセージください。